近年、パーソナルトレーナーという職業が増えてきました。
それはとても嬉しいことです。
しかし、その一方で、金銭目的の悪質なトレーナーも存在しています。
この業界をもっとクリーンにし、全てのお客様がワクワクしながら
目標を達成できるパーソナルフィットネスを目指しています。
私は熊本県の天草という自然豊かな場所で育ち、常に身体を動かして生活していました。その分、ケガをすることも多く、小学生の頃には約2年間、足に装具をつけて生活しなければならない時期もありました。
中学や高校時代は、ほとんどの時間を部活に費やし、楽しい時間を過ごしていましたが、自分も含め、周りの仲間たちもケガや痛みと闘いながらの苦しい生活を送っていました。もし正しい対処法が分かっていればもっと楽しい時間を過ごせたのに!という思いが強まり、私はスポーツトレーナーという道を選ぶことにしました。
スポーツの専門学校を経て、大手スポーツジムに就職し、意気揚々と仕事に励んでいましたが、そこである壁にぶつかりました。
身体を動かす楽しさを伝えることができる環境ではあったものの、ケガや身体の調子が悪くなった時、適切な処置や診断ができないことに歯がゆさを感じていました。そもそも身体の調子が悪くなれば、スポーツジムにすら来なくなるのです。
さらに、仕事は上から指示されたことをただこなすのが当たり前で、自分が企画して提案したものも「リスク管理」の名目で却下される日々が続いていました。
それでも、そこで諦めるような性格ではありませんでしたので、周りに相談したところ、個人で活動しているトレーナーや経営者の方を紹介していただく機会に恵まれました。その時、初めて「雇われ」から「個人事業」という考え方を得るきっかけをつかんだのです。
約10年勤めたスポーツジムを退職し、その後の約2年間はさまざまな事業形態を知るために、24時間ジムやパーソナルトレーニングと整骨院が併設されたジム、暗闇フィットネススタジオなどで働きながら、自分に合った活動の仕方を模索しました。
そして、満を持して独立。人生で初めての独立ではありましたが、そこそこ人気のあった私は、それほど不安を感じることもなく、すぐにお客様がついてくるだろうと思い、伸び伸びとできるはずだと楽観していました。
いざ独立してみると、思ったようにはお客様が来てくれませんでした。これまでジムに来てくださったお客様は、ジムの看板に引き寄せられていたことに気づかされました。急に独立しても、誰も私のことを知らなかったので、当然来てくれるわけがありません。これは大きな誤算であり、失敗でした。
自分にはそんなに力がなかったのだと現実を痛感しました。それに気づいた日から、毎日ガムシャラに私のことを知ってもらうために、さまざまな場所で顔を売り込みに行きました。しかし、いくらやってもなかなか思ったように成果が出ません。動いて動いて、寝る時間さえ記憶にないほどの忙しさが続きました。
そんな生活を続けて1年半がたったある日、仕事を終えていつも通り帰宅すると、妻が深刻そうな表情で「話がある」と切り出してきました。「将来のことを考えた時に、このままずるずるいくなら離婚した方が良いんじゃない?」と告げられたのです。
その瞬間、頭が真っ白になりました。もちろん、離婚は絶対にしたくありません。結婚当初から、妻と幸せになることが私の大きな夢のひとつでした。今まで私がどん底にいる時も支え続けてくれた妻に、こんなことを言わせてしまうなんて。
独立した時に、妻に海外旅行に連れて行くことを約束していましたが、その約束も守れていません。それにもかかわらず、私はプライドが高く、嫌な仕事はやらないなど、仕事を選んでいた自分に対して、情けなさを感じました。
もうそんなことを言っている場合ではない!と強く自覚し、心を入れ替えて奮起する決意をしました。
その日から、毎日自分と向き合いました。なぜお客様が来てくれないのか、真剣に考え始めたのです。
振り返ると、これまでの私はただトレーニングを教えているだけだったことに気づきました。しかし、お客様が求めているのは、単なるトレーニングの技術ではありません。お客様は、トレーニングを通じてその後の人生をより豊かにしたいと思っているのです。
これまでお客様が目標を達成し、喜んでいる姿を思い返したとき、私はフィットネストレーナーとしての真の役割に気づきました。それは、単にトレーニングを教えることではなく、お客様が目標を達成できるようサポートし、その後も自分で体の悩みを解決できるように導くことです。
最終的には、私から”卒業”してもらい、人生そのものを楽しく豊かに過ごしてもらうことこそが私のミッションだと感じたのです。
そこでまず、従来のマシントレーニングから家でできるトレーニングに変えることを決めました。ジムに通うこと自体が「面倒」「きつい」「効果を感じない」といった理由で続かなくなることが多いのです。
ですから、お客様が自宅でも続けられるよう、マシンを使わないトレーニング方法を考案しました。本来なら3ヶ月や半年で目標に到達できるお客様でも、トレーナーの売上のために長期間通わせることが少なくありません。
私はこれが業界の大きな問題だと感じ、”卒業できるフィットネス”をテーマに活動することを決意しました。
そうしてからは、”卒業できるトレーナー”として少しずつ認知が広がり、ありがたいことに口コミでどんどんお客様が増えていきました。お客様からのご紹介も多くなり、予約が埋まる日々が続くようになりました。
今となっては、たくさんの卒業生が誕生し、感謝の言葉をたくさんいただけるようになりました。お客様が卒業する瞬間は、私自身も感動し、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになります。「これこそが私がやりたかったパーソナルフィットネスの形だ」と、心から思えるのです。
もしあの時、妻から離婚を切り出されなければ、私は今も昔と同じことを繰り返していたでしょう。プライドが高く、誰の結果も出せないトレーナーとして、ただただ自己満足で日々を過ごしていたと思います。今となっては、妻が言ってくれたことに心から感謝しています。
これからも日本のフィットネス業界を活性化させ、お越しいただいたお客様一人ひとりの悩みに寄り添いながら、楽しく解決に導いていきたいと思っています。
そして、YARMAN FITNESSを選んだことで「人生が変わった!」と感じていただけるトレーナーとして、これからも活動を続けていきます。